広島地方裁判所 昭和42年(ワ)392号 判決 1969年9月26日
原告
花本忠雄
被告
株式会社山門鉄工所
主文
被告は原告に対し金三四九万六、〇七五円及びこれに対する昭和四二年五月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求は棄却する。
訴訟費用はこれを三〇分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
第一項の金員のうち金一〇〇万円については仮りに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金三六〇万六、〇八〇円及びこれに対する昭和四二年五月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として
「一、昭和三六年一二月二八日午後四時頃、山口県下松市昭和通り路上において、訴外安達与才の運転する大型貨物自動車(以下被告車という。)が、道路西端に停車中の原告の運転するタンクローリー車に衝突し、よつて原告に対し後頭部打撲挫創兼脳震盪並びに前胸部打撲傷等の傷害を負わせた。しかし右傷害は全治せず頭部外傷後遺症となつて今日に及んでいる。
二、被告は被告車を所有し、これを自己の運行の用に供していたものであり、本件事故はその運行により生じたものであるから、被告は自動車損害賠償保障法第三条により原告の蒙つた後記損害を賠償すべき義務がある。
三、原告の蒙つた損害
原告は右事故当時及びその後も引続き訴外石油荷役株式会社広島支店に勤務していたが、右傷害による頭部外傷後遺症により新たに昭和三九年五月二八日から長期間に亘り治療を受けざるを得なくなり、昭和四〇年九月二六日から同社を休職するに至つたが、休職期間一ケ年を経過しても就労の見込みがないため復職を命ぜられず、昭和四一年九月二五日付をもつて解雇された。しかし依然として右後遺症に基づく頭痛、眩暈、微熱、後頭部神経痛等の症状があり、将来とも就職できない状況にある。
(一) 昭和四〇年九月二六日から昭和四一年九月二五日までの休職期間中は、共助会から毎月受くべき給与月額の八割に相当する金額の支給を受けたが、その余の二割に相当する金額については何等の保障もない。原告の昭和四〇年一〇月から昭和四一年三月までの給与月額は金三万六、一六〇円であり、同年四月から同年九月までの給与月額は金三万八、九三〇円であつたから、原告は右期間中に右給与月額の二割に相当する合計金九万〇、一〇八円の得べかりし利益を喪失し同額の損害を蒙つた。
(二) 解雇されたことによる損害
1 原告は解雇時から定年退職(満五五年)の日である昭和四六年六月四日(原告は大正五年六月四日生)に至るまでの四年八ケ月間右会社に勤務することができ、毎月少くとも解雇当時の給与月額金三万八、九三〇円以上の給与を受け得たもので、これをホフマン式計算方式(月別)により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すると、昭和四二年五月二二日現在の金額は金二〇〇万五、〇六六円である。
2 原告は解雇後の昭和四一年一二月から定年退職の昭和四六年六月まで毎年六月と一二月に合計して右給与月額の基本給金三万六、二三〇円の四ケ月分に相当する賞与を受け得たもので、これをホフマン式計算方式(年別)により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すると、昭和四二年五月二二日現在の金額は金五八万八、九九八円である。
3 原告は右解雇のため退職金規定第二条により算出された金三七万二、〇八二円の退職金の支給を受けたが、定年退職まで勤務した後に支給される退職金は、右規定により算出すると金六三万八、三七二円となり、その差額金二六万六、二九〇円を受け得なかつたことになるが、これをホフマン式計算方式により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すると、昭和四二年五月二二日現在の金額は金二二万一、九〇八円である。
(三) 原告は本件事故による頭部外傷後遺症のため昭和三九年五月二八日再び入院して治療を受けたが全治せず、退院後も引続き治療を続けなければならない状態で就労もできず、昭和四一年九月二五日会社を解雇されるに至つたが、将来とも就労できない状態にある。このため現在は何等の収入もなく僅かの貯蓄を頼りに生活を続けているだけでなく常に右後遺症に悩まされ治療を続けている状況であつて、これによつて原告の蒙つた精神的苦痛は筆舌に尽し難いものがあり、これを慰謝するには金七〇万円をもつて相当と認める。
四、よつて原告は被告に対し右損害金の合計金三六〇万六、〇八〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」
と陳述し、被告主張の抗弁に対し「被告主張のような示談契約の成立したことは認める。しかし右示談契約は原告の現在のような後遺症の存在することまでも予想してなされたものではないから、右後遺症によつて生じた損害賠償請求権に消長を来すものではない。また原告が本訴において請求している損害は後遺症によつて生じた新たな損害であり、従つてその消滅時効の起算日は新たな損害の発生した日を基準にすべきである。本件においては新たな損害の発生した日から本訴提起の日までに未だ三年を経過していないから消滅時効の抗弁も理由がない。」と述べた。〔証拠関係略〕
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として「請求原因第一項中原告主張の日時場所において訴外安達与才の運転する被告車と原告の運転するタンクローリー車が衝突し、原告が傷害を負つたことは認めるが、原告の受傷の部位程度、事故の状況は否認する。同第二項の事実は認める。同第三項中原告が事故当時及びその後も引続き訴外石油荷役株式会社広島支店に勤務していたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。」と陳述し、抗弁として「本件事故については昭和三七年一月二七日、原告及び右石油荷役株式会社広島支店と被告との間で、原告の人的損害については業務上の災害として労働者災害補償保険法に基づき給付を受けるので、被告としては政府が被告に対して損害賠償の請求をしたときにこれに応ずること、なお休業補償費の不足分については被告が右石油荷役株式会社に支払うこと、被告は原告に対して見舞金として金一万円を支払うこと、被告は石油荷役株式会社に対して車両修理費及び車両休業補償費を支払うこと、右支払は車両の修理完了後一ケ月以内に支払うこと、本件事故による損害についてはこれによつて全部解決し、訴訟その他によつて異議を申し立てないこと等を約定して示談が成立し、原告はその余の損害賠償請求権は放棄しているものである。更に本件事故は昭和三六年一二月二八日に発生し、原告は事故発生の頃、被告に対し損害賠償請求権のあることを知つていたものであり、本件事故発生の時から本訴提起の日までに三年以上経過しているので、仮りに原告が右示談契約によつて損害賠償請求権を放棄していないとしても右請求権は時効によつて消滅している。」と述べた。〔証拠関係略〕
理由
一、請求原因第一項中原告主張の日時、場所において訴外安達与才の運転する被告車と原告の運転するタンクローリー車が衝突して原告が傷害を負つたことは当事者間に争いがない。〔証拠略〕を総合すれば、訴外安達与才は被告車を運転して時速約五〇キロメートルの速度で進行中前方約五〇メートルの道路左側に数名の人が佇立しているのを認め、これを避けるべくハンドルを右に切つたところ、前方道路右側を進行して来る原告の運転するタンクローリー車に衝突し、よつて原告に頭部挫傷兼前胸部挫傷の傷害を負わせたこと、原告は右傷害のため脳圧が亢進し、現在も頭痛、不眠症、眩暈、両肩後頭部神経痛等の頭部外傷に基づく後遺症があり、右後遺症は全治する見込はないことが認められ、証人宇津木忠晄の証言も右認定を覆すに足らず、他にこれを左右するに足る証拠はない。
二、被告の損害賠償義務について
被告が被告車を所有しこれを自己の運行の用に供していたものであり、本件事故はその運行により発生したものであることは当事者間に争いがない。
そこで被告主張の抗弁について判断する。
原被告間に被告主張のとおり示談契約の成立したことは当事者間に争いがない。
〔証拠略〕を総合すれば、原告は本件事故により負傷したため昭和三七年一月四日広島赤十字病院に入院して治療していたが、負傷も大体治癒したため同年二月八日同病院を退院し、その後勤務先の石油荷役株式会社広島支店で作業していたところ、発熱したり或いは上半身が痛むため市中の病院で治療を受けていたが病状が好転しないので、昭和三九年五月二三日広島赤十字病院で精密検査を受けた結果、これらの症状は本件事故で頭部に負傷したことによる後遺症であることが判明したものであること、原被告間に成立した右示談契約は原告が本件事故直後広島赤十字病院に入院中になされたもので、原告は示談契約成立当時現在のような後遺症が残るであろうことは全く予想していなかつたものであることが認められ、他にこれに反する証拠はない。
そして事故による全損害を正確に把握し難い状況のもとにおいて少額の賠償金で示談契約がなされた場合には、被害者はその示談契約により示談当時予想していたその他の損害についてのみ損害賠償請求権を放棄したものと解すべきである。本件においては原告は前記認定のとおり示談契約当時は現在のような後遺症の残るであろうことは全く予想していなかつたものであるから、右示談契約によつて本件後遺症による損害賠償請求権までも放棄したものということはできない。
また、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効は被害者が損害を知つたときから進行するものであるが、原告が本訴において請求する損害はすべて本件事故による後遺症によつて生じたものであり、原告は前記認定のとおり頭痛、眩暈、神経痛等の症状本件事故で頭部に負傷したことによる後遺症であることは昭和三九年五月二三日に初めて知つたもので、右のような後遺症の発生するであろうことは本件事故当時全く予見し得なかつたものであるから、このように事故当時全く予見し得なかつた損害の消滅時効は、新たな損害の発生原因となる事実を知つたとき、本件においては原告が本件後遺症のあることを知つたときから進行するものと解すべきである。原告が本件後遺症のあることを知つたのは前記のとおり昭和三九年五月二三日であり、原告の本訴提起の日は本件記録によれば昭和四二年五月二二日であつて、原告が右後遺症のあることを知つたときから本訴提起の日までに三年を経過していないことは明らかであるから、被告の消滅時効の抗弁もまた理由がない。
従つて被告は自動車損害賠償保障法第三条により原告の蒙つた後記損害を賠償すべき義務がある。
三、原告の蒙つた損害について
(一) 原告が本件事故当時及びその後も訴外石油荷役株式会社広島支店に勤務していたことは当事者間に争いがない。
〔証拠略〕を総合すれば、原告は本件事故当時並びにその後も引続き訴外石油荷役株式会社広島支店に勤務していたが、本件後遺症のため昭和三九年五月二八日から同年六月三〇日まで広島赤十字病院に入院し、退院後も同病院、皆川診療所、中高下病院に通院して治療を受け、そのため会社を欠勤するのやむなきに至り、昭和四〇年九月二六日には会社から休職発令がなされ、一年間の休職期間が経過しても後遺症が治癒せず就労することができないため、復職の発令がなされず昭和四一年九月二五日付をもつて解雇されるに至つたこと、その後も依然として頭痛、眩暈、神経痛等の症状は治らず今後も就労できない状況にあること、原告は昭和四〇年九月二六日から昭和四一年九月二五日までの休職期間中は、共助会から給与月額の八割に相当する金額の支給を受けたが、その二割に相当する金額については支給されなかつたこと、原告の昭和四〇年一〇月から昭和四一年三月までの給与月額は金三万六、一六〇円であり、同年四月から同年九月までのそれは金三万八、九三〇円であつたことがそれぞれ認められ、他に右認定に反する証拠はない。従つて原告は右休職期間中に給与月額の二割に相当する合計金九万〇、一〇八円の得べかりし利益を喪失したものというべきである。
(二) 解雇されたことによる損害
1 〔証拠略〕を総合すれば、原告の勤務していた石油荷役株式会社の定年は満五五年であり、原告は大正五年六月四日生であつて、解雇されなければ定年退職に至るまでの四年八ケ月余右会社に勤務することができたこと、原告の解雇当時の給与月額は金三万八、九三〇円であつて、定年退職に至るまで少くとも解雇当時の給与月額以上の給与を受け得たことが認められ、他にこれに反する証拠はない。
従つて原告は解雇されたことにより解雇の翌日から定年退職に至るまでの給与合計金二一九万一、七五九円の得べかりし利益を喪失したものというべく、これをホフマン式計算法(月別複式)により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して本訴状送達の日であることが記録上明らかな昭和四二年五月二四日現在における金額を算出すれば金二〇二万二、四四〇円(円未満切捨)となる。
2 〔証拠略〕を総合すれば、右石油荷役株式会社は入社年次を重視して賞与を支給しており、原告より約一年後に入社した砂田秋三は昭和三九年から昭和四一年まで年二回ないし四回に亘り毎年基本給の約四ケ月分に相当する賞与を受けていること、原告も本件後遺症のため欠勤しなければ同率の賞与を受け得たこと、従つて原告は解雇されなければ定年退職に至るまで毎年少くとも給与月額の基本給金三万六、二三〇円の四ケ月分以上の賞与を受け得たであろうことが認められ、他にこれに反する証拠はない。
従つて原告は解雇されたことにより解雇のときから定年退職に至るまで毎年少くとも解雇当時の基本給金三万六、二三〇円の四ケ月分に相当する賞与合計金七二万四、六〇〇円の得べかりし利益を喪失したものというべく、これをホフマン式計算法(年別複式)により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して昭和四二年五月二四日現在における金額を算出すれば金六六万一、四六八円(円未満切捨)となる。
3 〔証拠略〕によれば、原告は解雇された際石油荷役株式会社の退職金規定により算出された金三七万二、〇八二円の退職金の支給を受けたことが認められ、他にこれに反する証拠はない。
右甲一六号証の退職金規定によつて原告が定年退職に至るまで勤務した後に支給される退職金を算出すれば金六三万八、五五三円(円未満切捨)となり、原告は解雇されたことにより右金額の差額金二六万六、四七一円の得べかりし利益を喪失したものというべく、これをホフマン式計算法により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して昭和四二年五月二四日現在における金額を算出すれば金二二万二、〇五九円(円未満切捨)となる。
(三) 慰謝料
前記認定のとおり原告は本件後遺症のため昭和三九年五月二八日から同年六月三〇日まで広島赤十字病院に再入院し、退院後も引続き治療を受けなければならない状況で就労できず、昭和四一年九月二五日勤務先を解雇されるに至つたこと、現在も後遺症のため就労できないこと等記録上認められる諸般の事情を考慮すれば、原告が本件事故に基因する後遺症のため甚大な精神的苦痛を蒙つたであろうことは推察するに難くなく、これを慰謝するには金五〇万円をもつて相当と認める。
従つて被告は原告に対し右損害金の合計金三四九万六、〇七五円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四二年五月二五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものといわなければならない。
四、よつて原告の被告に対する本訴請求は右認定の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡田勝一郎)